
<台湾茶の歴史>
台湾は、1624年にオランダ東インド会社がタイオワン港を占領したことから、付けられた名前だ。タイオワンとは先住民シラヤ族の村の名前だった。
現在では、有名な台湾の烏龍茶だがその歴史は短い。中国から移植されてから発展した産地だ。
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| 号 | 年代 | 歴史 | |
| 大航海時代に、日本に向かう途中でポルトガル人によって台湾が発見された。 ポルトガル人は美しい島国の台湾を、イラ・フォルモサ(Ilha Formosa)、麗しの島」と呼んだ。 |
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| オ ラ ン ダ 支 配 |
1622年 | オランダが澎湖島を占拠した。 | |
| 1626年 | スペインが台湾の基隆、淡水を占拠した。 | ||
| 1642年 | スペインはオランダの攻撃によって台湾から退却、オランダが全土を占領した。 | ||
| 1645年 | 台湾中南部の海抜800mほどの山中で、野生の茶樹が見つかり、その葉を積んで原住民が自家製のお茶を作ったのが製茶の始まり。 | ||
| 鄭 成 功 |
1662年 | 清朝との戦いに負けた明朝の鄭成功(ていせいこう)は台湾へ逃げた。 そして、オランダを追い出した。 |
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| 1683年 | 鄭成功は台湾を明朝の国とし、清朝への戦いの拠点とした。 鄭成功の死亡後、台湾の明朝は清朝によって滅ぼされた。 |
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清 朝 の 支 配 |
1684年 | 台湾は清朝の福建省に隷属された。 清朝は現在の台南市に台湾府を置いたが、清朝自身は台湾を積極的に開拓しようとしなかった。 しかし、大陸の福建省や広東省からの移民が激増し、彼らは台湾の南部から北部へと土地を開拓した。 |
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| 1723年 | 赤嵌(台南)の記録には、「水沙連(台湾中南部)は深い谷間にあって昼なお暗く、樹木鬱蒼、雲霧たれ下がり、向こうが見えないほどである。 朝夕の如く日中の日照が少ないので、茶の色、松蘿(つたかずら)の如く性極寒(陰性)にして熱病の治療に効果あり…」と記されている。 |
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| 1796年 | 柯朝氏が福建省の武夷山から台湾北部に茶の苗木を入植。 | ||
| 1885年 | 鹿谷郷初郷村の林鳳池(りんほうち)は、官使になるために地元の人間に金を出してもらい福建省に「郷使」という地方官使の試験をうけるため行き、「科挙」の資格を得た。 |
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| 1862年 | 福建省の指導者により製茶技術が伝わり、中国式の製茶方法が始まる。 | ||
| 1865年 | 英国人のジョン・ドットが茶葉交易のため「寶順洋行」を設立。 福建省の安渓から苗木を入手、茶農家に栽培させた。 |
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| 1866年 | 台湾の茶葉が中国の福建省から、アメリカやオーストラリアに輸出。 品質がよいことでアメリカの市場では人気が出た。 しかし、アメリカへの輸出港であった廈門(あもい)で地元の茶葉を混ぜた物を台湾茶として輸出したため、品質が下がり、他の産地に負けてしまった。 |
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| 1867年 | アメリカなどへの輸出量が減った台湾茶は、東南アジアに販路を広げた。 マカオへの輸出開始。 |
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| 1869年 | 「Formosa Tea」の商品名で北アメリカへ輸出された。 | ||
| 1872年 | イギリスへの輸出開始。 | ||
| 1873年 | 世界的な金融恐慌が起こり、輸出が不況になる。 荒茶を福州に送り、花茶に再加工をはじめた。 |
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| 1881年 | 福建省の呉福源氏が台北に工場を設け、包種茶の製造方法が伝えられた。 | ||
| 1889年 | 茶商公会設立。 | ||
| 日 本 の 統 治 時 代 |
1895年 | 台湾は日清戦争の結果、下関条約により日本へ割譲されることとなった。 日本は、製茶機械を導入して茶の品質を向上させたり、検査機構を設立して茶産業の振興させた結果、生産量や輸出量も飛躍的に向上した。 |
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| 1896年 | 張逎妙が木柵地区に中国の安渓県から鉄観音12株を試験的に植えた。 茶樹は順調に育った。 そこで、安渓県から苗1000株を移植、鉄観音の製茶技術を学び木柵鉄観音を生産した。 |
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| 1903年 | 茶製造試験場(現在の台湾省茶業改良場)を設立。 茶樹や製品の運搬技術などの研究が行われた。 |
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| 1912年 | 台湾では中華民国元年と称し、一般的には民国元年と記している。 | ||
| 1926年 | 台湾総督府がインドからアッサム種の苗を取り寄せ、南投県魚池地区に植えたのが台湾紅茶のはじまり。 | ||
| 1941年 | 太平洋戦争が始まる。 土地や労働力は食糧の生産に使われ、また輸出が出来なくなったため台湾の茶業は衰退する。 |
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| 1945年 | 第二次世界大戦終結。日本の統治が終わる。 | ||
| 中 華 民 国 |
1960年 |
花連県瑞穂郷鶴岡村で紅茶生産が行われた。(台湾土地銀行が出資) | |
| 1973年 | 民國62年瑞穂茶区が高級茶専業区に指定される。(台湾省農林庁) | ||
| 1975年 | 茶葉の残留農薬検査を実地。 基準を超えると罰金、焼却処分、悪質な業者は刑務所送り。 害虫駆除も農薬を極力使わないよう指導している。 |
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| 1996年 | 生産高2080屯 茶畑面積24130ヘクタール | ||