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中国茶の歴史「神農」

中国茶の歴史

 

中国のお茶の歴史を大きな流れで簡単に書いてみました。

現在、見つけられている資料や先輩諸氏の資料を基にしていますが、今後新しい発見や研究結果が発表されれば随時掲載していく予定です。

 


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●古代

 

お茶のルーツはまだ解明されていませんが、茶樹の起源は雲南省、貴州省、四川省あたりの山間部一帯であるといわれ、最近の学説では雲南省説が有力です。
お茶の歴史的な伝説では、紀元前2737年頃に薬の神様である神農が解毒にお茶を使ったといわれています。
実際にお茶を飲み始めた時期は歴史的な史料が乏しいため、現在も確定されていません。

お茶に関して一番古い史料とされているのは、前漢の宣帝の時代、王褒(オウホウ)の奴隷売買の契約書『僮約』のなかに「茶を烹(ニ)る」「武陽で茶を買う」という文章が見られます。

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●唐代

 

この時代になると長安や洛陽ではお茶を飲む習慣が一般的になっていたといわれています。また、お茶が売られていたことや茶店も多くできていたことが史料によって分かっています。

茶聖といわれる陸羽が有名な『茶経』を書いたのもこの時代です。
この時代のお茶は固形茶である餅茶が中心であったようです。

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●宋代

 

お茶は餅茶から団茶が主流になり、研膏茶へと変化していきました。
龍団鳳餅茶と呼ばれる龍や鳳凰の金色の紋をおした研膏茶は、朝廷に献上されていました。

福建省建安のお茶が第一級品として有名であり、多くの茶書にも取り上げられています。
しかし、一般庶民はこのような高級なお茶ではなく、散茶を酒楼や茶館で楽しんでいたようです。

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●元代

 

このころからモンゴルとの交流によって、香辛料やバターなどを入れたお茶が普及しはじめました。
当時は花を混ぜ合わせた混ぜ茶、雑茶、調合茶などが日常生活に入ってきたようです。
花茶のルーツはこの時代です。

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●明代

 

中国茶にとって大きな変動の時代です。
明の太祖、朱元璋によって朝廷に献上するお茶が固形茶から散茶にするようお達しがあったため、以後、本格的に散茶(葉茶)が製造されるようになりました。
緑茶で有名な龍井、日鋳、六安、黄山、松羅などのお茶が現れ始めました。
明代末には、福建省の武夷茶が当代随一の名茶として上流階級にもてはやされました。多くの商人が各地から大金を持って武夷茶を求めて集まったといわれています。

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●清代 

 

 

清代はこれまでの漢民族から北方の満州族が国を治めたため、これまで常に排撃されていた「香茶」や「花茶」が、このころから大いに歓迎され、香りが中心のお茶が広がりました。このことが中国全土で花茶が飲まれていることと大いに関係があると思われます。
また、この習慣が日本の味を中心にするお茶と香りを大切にする中国茶の違いを生んだのかもしれません。中国茶を楽しむには「香り」を楽しみ、次に味を楽しむというスタンスが必要です。
有名な詩人、袁枚(エンマイ)は武夷茶を口にするまでは、杭州の龍井茶を第一としていたにもかかわらず、武夷茶を知ると 『随園食単』の中でも武夷茶を讃え、次に龍井茶、常州陽羨茶、洞庭君山茶の順に清代の名茶を並べています。
良質の青茶の味と香りを知ると清香豊かな緑茶でも、味と香りが薄く、頼りなく感じてしまいます。

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十七,八世紀のヨーロッパでは福建省の武夷茶が広がっていました。
後の紅茶と呼ばれる茶の源流Bohea(ボヘア)は武夷茶のことです。
この武夷茶は優れた品質と限られた地域の天然自然茶であるため生産量が少なく、その希少価値のため珍重され有名になりました。